テクニカル・ライティングの前に


“はじめに”の前に

毎年毎年、学生が卒業しては新しい学生が配属になります。しつこく指導 してやっと学生が仕上ったと思えば、また何もできない(失礼)新入生がやって きます。まことに研究室とは砂の城、何度作っても打ち寄せる時の波に流され、 また一から作り直しになる。(諸行無常…)

もちろん給料を貰っているので毎年指導をするわけですが、嘆いてばかり いても仕方がない。毎年同じことを学生に言っていると労力の浪費だし、文書 に残して再利用することにしました。浮いた労力と時間を研究に回すのが建設 的ですし、指導の質も上がるでしょう。

そういうわけで、この文書は私の研究室に配属された学生に読んでもらう 為のメモです。普遍性があるかどうかは保証しませんが、私が日常よく指摘す ることをまとめました。

忙しいなかわずかな時間で書いたので、自分の言っていることとやってい ることが違う所(書き方どおりに書いてない!)は沢山あると思います。その うち推敲しますが、とりあえずβ版ということで御勘弁下さい。


はじめに

この文書では、テクニカル・ライティング(技術的文書の作文法)について 述べるつもりはない。自分にそれほどの能力や見識があるとは思っていないし、 世の中には偉大な先人の手になる沢山の教科書が既に存在している。そこでこ の文書では、工学部系の学生がレポートや論文を書く前に読むべき「テクニカ ル・ライティングの教科書」を紹介し、教科書を読む前に知っておくべき「作 文の常識」を紹介する。このガイドでは学部4年生程度を対象とし、日本語を 前提として話を進めることにする。

テクニカル・ライティングとは何か

テクニカル・ライティングとは、一言で言えば科学・技術に関する文章を 書くことである。実際、科学・技術系の原稿を書くことを生業とする人を“テ クニカル・ライター”といい、多くの技術雑誌はプロのテクニカル・ライター が原稿を書くことによって成立している。雑誌や本の原稿以外でも、工業製品 のマニュアルや、技術者の書く実験記録や、工学部学生の実験レポートを書く ことは全て「テクニカル・ライティング」に含まれる。これら全てに共通する 技術があるということである。

テクニカル・ライティング技術の必要性

簡単に「作文」と言わずにわざわざ「テクニカル・ライティング」と言う のは、小中学校の国語の授業で行う「作文」と区別するためである。国語教育 における「作文」は、多くの場合、文学的な主題や手法について学ぶ場になっ ているようだ。しかし「テクニカル・ライティング」で求められる技術は、こ うした作文とは少々異なるものである。そこで多くの大学では「テクニカル・ ライティング」という講義を設けて、技術系の作文技法を教育している。

技術系の文書には、それなりの約束事(形式)が多くある。それらの約束に はそれなりの必然性があるので、約束事を守っていない文書は形式不備と見な されるだけでなく内容(信頼性)まで疑われてしまう。こうした形式や約束は自 分で決めるわけではなく、既に存在する基準を学習して守るわけだから一度は きちんと「学ぶ」必要がある。自動車教習所では、運転技術と共に交通法規を 学ぶ必要があるのと同じである。テクニカル・ライティングの知識は技術者と しての基礎教養の一部だから、社会に出る(一人前になる)前に覚えておかねば ならない。

テクニカル・ライティングの参考書

世の中には『論文の書き方』といった本が沢山ある。ためしに図書館で探 してみなさい。非常に沢山の本がみつかるはずである。そのどれを選ぶかは各 自の自由だが、ここでは一般的に入門用として定評のある本を数冊紹介する。

まず大事なのは、意味のわかる日本語を書くことである。テクニカル・ラ イティングでは(文学的な評価はさておき)、理解しやすく誤解のない文章を書 くことを目的とする。本多勝一『日本語の作文技術』 には、元・新聞記者の著者が経験から体得したテクニックが記されている。 新聞記事は技術文献ではないが、必要な情報を簡潔に誤解のないように書くと 言う意味で共通点があり、テクニカル・ライティング以前に一度読んでおくべ き本である。

木下是雄『レポートの組み立て方』木下是雄『理科系の作文技術』は、同じ著者による本で 共通する内容が多く含まれている。『理科系の作文技術』はテクニカル・ライ ティングの基礎技術を網羅していて、理系大学生の必読書である。必ず一度は 読むこと。『レポートの組み立て方』は文系の人を意識して書かれたようだが、 文系向きというより万人向けである。つまり理系の人にも非常に役に立つ。私 は個人的には『理科系…』より『レポート…』の方が良い本だと思う。後から 出た本だから、こなれているのかもしれない。

『日本語作文作法』は、最近出版された大学初 年対象の教科書である。系統的で詳細に書かれており、練習問題と解答例もつ いているので、テクニカルライティングの独習書として非常に良いのではない かと思う。

『日本語練習帳』は、テクニカルライティングの 参考書としてあげるのは不適切かもしれないが、その前提しての日本語作文技 術という意味で一読する価値のある本である。

文化庁では、国語表記の基準 を公開している。よく耳にする「常用漢字表」や「現代仮名遣い」のほか、 「送り仮名の付け方」など、『一般の社会生活における国語表記の目安・より どころ』が公開されているので、疑問に思ったときは参考にするといいかもし れない。

『日本語の作文技術』から

この章では『日本語の作文技術』の中で、特に注 意して読んでもらいたい部分を紹介する。この章を読んでも肝心なことは解ら ないと思うが、以下のポイントを参考にしながら『日本語の作文技術』を読ん でもらいたい。

文学的な文章と実用的な文章は違う

文学的な文章と実用的な文章では求められるものが違う。従って表現や技 法も異なる。理系の学生に必要な技術は、理解しやすく誤解を生まない文章を 書く技術である。そのためには最低限以下のことを理解する必要がある。

修飾語の使い方

まず、修飾する言葉とされる言葉を離さないこと。これによって修飾関係 を明確にすることができる。修飾関係が不明確な文章は、意味が意味が解らな くなったり、複数の解釈ができてしまう。どちらも技術文書としては失格であ る。

修飾する言葉が複数ある時は、原則として節を先に、句を後に書くと良い。 修飾語が複数あれば、長い修飾語が先。短い修飾語が後。修飾節・句の意味も 考える必要がある。重要なものを先に,付属的なものを後にすると解りやすい。 あとは、語の親和度に応じて調整すると読みやすくなる。

句読点の打ち方

句読点は、文章を分かり易いものにするには非常に重要である。しかし実 際の技術としては非常に難しい。以下の文章は、一見すべて同じように見える が、読点の打ち方次第で意味が異なってしまう。

1番目の文では、血まみれになったのが刑事なのか犯人なのか不明確であ る。2番目のように読点を打てば、血まみれになったのが犯人であると明確に なる。3番目のように打てば、血まみれになったのは刑事である。4番目のよ うに2箇所に打ってしまうと、1番目と同様に意味が一意に定まらない。読点 が無い場合も、不要な場所まで余計に打った場合も、どちらも悪い文になる。

記号と括弧の使い方

記号や括弧に関しては非常に種類も多いので、間違いの多い点だけ紹介す る。記号や文字には意味があるので、元々の意味に従って使わなければ見た目 が似ていても間違いである。

第一の原則は、「括弧は一対で使う」ということである。括弧を間違う人 は少ないが、引用符に関しては無頓着な人が多い。引用符にも開く側と閉じる 側があるので、括弧と同様に正しい組合せで使わねばならない。

例: ( ) 「 」 “ ” ` ' `` ''

誤: 引用文” (前の引用符が間違っている)

なかてん“・”(別名・なかぐろ)は、外来語の複合語で語の間に打つ。語 を並列に並べるときにも使う。

三点リーダー“…”は、一般に省略の表現である。点の数は2つでもなけ れば4つでもない。文末につけて感情や余韻を表現する場合にも使う。この場 合、三点リーダーを2つならべて“……”と用いることもある。

句読点の種類

文を区切るためには通常句読点「。」「、」を用いるが、理系の文書では 英単語や数式を多く用いる関係上,カンマ(,)やピリオド(.)を使うこともあ る。特に取り決めがないなら、どちらを使うのも書く人の自由である。ただし 一つの文書や文章の中では統一されていなければならない。正式な論文などを 書く場合は投稿先で指定されていることが多いので、事前に調べること。

これらの記号の組み合わせには4通りある。実際に色々な本や論文・文書 を見てみると良い。

漢字とカナの心理

同じ文書や文章の中では、同じ言葉はいつでも同じ表現(文字列)で表現さ れなければならないだろうか。基本的にはその通りである。同じ名詞が、平仮 名になったり片仮名になったり漢字になったりしては、同じ物であると認識さ れないかも知れない。動詞の送り仮名も統一しなければならない。学会など、 原稿の書き方を細かく規定している場合は、これらの点についても厳しく規定 を設けている場合があるので事前に原稿執筆要領などを調べておくと良い。送 り仮名については文部省がガイドラインを作っているが、矛盾だらけであると して採用しない人も多い。

杓子定規に上の原則を守ると逆に読みにくくなる場合がある。可能な場合 は、読者が読みやすいように、そして誤解を生まないよう意味が明確にわかる ように、漢字と仮名をを使い分けると良い。下の例では、「いま」を平仮名で 書いたり漢字で書いたりしているが、これは単語の認識が楽になり、ひいては 解釈が容易になることを意図してのことである。

同じ言葉はいつも同じ文字列という原則には反するが、1つ目の例で「い ま」を「今」と書くと「結果今」という単語があるように見える。この例では 「結果今」などという単語は辞書に出ていないので誤解しようがないが、偶然 辞書に出ているような単語になってしまうと読者は戸惑ってしまう。2番目の 例では「今」を「いま」と書くと平仮名が長く続いて読みにくくなる。

読みやすくするだけなら、読点で区切っても良いように思われる。例えば 上の例を下のように読点で区切って書けば読みやすくはなる。しかし既に述べ たように、読点を打ちすぎると意味が不明確になってしまう。読点は意味だけ に従って打つようにし、読みにくさは漢字と平仮名を適切に使い分けて補う方 が良い。

『理科系の作文技術』から

この章では『理科系の作文技術』の中で、特に注意 して読んでもらいたい部分だけを紹介する。この章を読んでも肝心なことは 解らないと思うが、以下にあげたポイントを押さえながら『理科系の作文 技術』を読んでもらいたい。

文章の組み立て

論理的な文章には論理的な構造がある。文章を書く時には、組み立てや順 序を考えて書かなければならない。起承転結を考えて、アウトラインを作成し、 アウトラインを充分推敲してから文章にすること。

アウトラインとは、文章の構成を箇条書きで示したものである。詳しくは 『レポートの組み立て方』を参照して頂きたい。

パラグラフ(段落)

パラグラフを意識した作文法については、「パラグラフライティング」と いうキーワードで参考書を探すと良い。多くの参考書があるが、例えば『理系の文章術』を参照のこと。

段落は、内容的に連結された文が集まって出来ている。段落が一つの明確 なトピックをもつようにせよ。トピックが2つであれば、2段落に分けるか他の 段落に移動できる部分が無いか考えよ。トピックが絞り込めないなら、考えて 明確化するまで文を書いてはいけない。

段落の持つトピックを一口で説明する文を設けよ(トピック・センテンス)。 こうして各段落のトピック・センテンスだけを並べて見たとき、全体の適切な 要約(ダイジェスト)になっているか確かめよ。

事実と意見

事実と意見を明確に分けて記述せよ。事実とは客観的根拠で証明できるこ とである。誰が見ても事実は1つであるはずである。意見は人が下す判断であ るから主観的で、人によって不一致が生じる。技術文書では事実を述べること が基本である。

意見を書く時には、はっきりそれと解るように書くこと。また、その意見 が推論であるのか、検証を要する仮説であるのか、提出している理論であるの か、その性質をはっきり書くこと。前提や適用範囲の記述,論理の記述は必須 である。意見を断定的に書くと事実と区別がつきにくいので、気をつけること。 他人が書いたことや言ったことは、引用であることを明示すること。「何某が 言った」ということは事実として書いても良いが、その内容は意見かも知れな い。引用を明示することは、その区別をするために重要である。

事実の記述

まず本当に書く必要がある点か吟味せよ。必要の無いことは一言も書くな。 書く時は明確に記述せよ。必要があれば引用文献を明示すること。主観に依存 する修飾語を排除せよ。百の意見を書くより、一の事実を書け。その方が説得 力があるし、読者の役に立つ。

意見の記述

意見を書く時は、前提や条件を明確に記述せよ。導出根拠や論理を漏れな く書け。冗長なのは最悪である。削っても通じる部分は全て削除せよ。根拠を 適切な引用文献に求めても可。

文献引用について

文献を引用する形式は一つに決まっていない。学会などで指定される場合 が多いので事前にしらべておくこと。自分が関連する学会の投稿要領に合わせ れば、自分の投稿の練習にもなり、読み手も形式に慣れているため、無難だと 思う。

英語について

研究は人類の進歩のために行なうものであって、学術論文は人類のために 書くのであるから、なるべく世界中の人に読んでもらう必要がある。現在のと ころ世界共通の認識として、英語で論文を書き、英語で口頭発表することが学 問の基本になっている。ちなみに日本国内の学会発表では、本文も発表も日本 語という場合が多いが、それでも原稿の題目と概要は英語で書くのが普通だ。 (日本語題目と共に英語題目、日本語概要と共に英語概要を載せる。)

修士論文の場合も、本文が日本語であっても、題目と概要は英語で提出す ることが要求される。もちろん学位取得のための審査規則に外国語試験が義務 づけられているから提出するのだが、義務になっている理由は「当然必要だか ら」だ。

ということで、好むと好まざるとに関わらず、多少の英語を書かなければ ならない。非常に大変なことに思われるが、別に無茶なことを要求するわけで はない。具体的には、高校生レベルの英語がマスターできていれば大丈夫であ る。高校を卒業していれば大丈夫とは言っていない。高校で学ぶ英語が100% 身についていれば大丈夫ということである。

例えば、論文を書くのに難しい英文法は必要ない。高校レベルの文法書を 1冊持っていれば充分。辞書も高校で使っていたような普通ので充分。ただし 各分野の専門用語は必要なので、必要に応じて専門書を調べる必要がある。

日本人の場合、どうしても問題になりやすいのは、時制、単数/複数/不 定冠詞/定冠詞、前置詞、能動体/受動態の使い分けなどだが、これは一夕一 朝では身につかないので地道な努力で英語力を高めるしかない。参考になる読 みものとしては、マーク・ピーターセン『日本人の英語』(岩波新書)と、 T.D.ミントン『ここがおかしい日本人の英文法』(研究社)を勧める。

技術作文に固有の英作文法(技術英作文)に関する本は沢山出ているが、そ れは基本的な英作文ができて初めて必要になる話。まず基本的な英作文をきち んとする方が先だろう。技術英作文に興味があるなら、例えば、金谷健一先生 の 『金谷健一のここが変だよ日本人の英語』を読んでみよう。こうした内容 が面白く読めるようなら、それなりのレベルに達していると思われるので、 本屋で技術英作文の本を買うと良い。

もう少し進んだ話題

学会や論文誌に投稿する時は、そこで定められた形式に則って原稿を書か なければならない。形式に関しては各学会や論文誌でガイドラインを出してい るので、必ずそれを参照すること。形式が整っていなければ原則的に受け取っ てもらえないので、その場のルールに合わせなければならない。学生さんの書 いて来た原稿を見ると、「知らなかった(から自分の流儀でやった)」とか、 「自分の流儀と違う(から自分の好みに合わせた)」とか、「こんな形式には納 得できない(から適当にした)」とか「ソフトウェアの都合でこうなる(から放っ ておいた)」とか、ルールより自分の都合を優先する人が多いが、それは論外 である。論文投稿については若手研究者のお経 (by 酒井先生@東北大) が面白い。

日本語での技術文献の形式については『理科系の作文 技術』あたりを参照するといいかもしれない。英語だと``Handbook of Writing for the Mathematical Sciences''や ``The Elements of Technical Writing''が 良くまとまっていた。

英語の一般的な書法については、いわゆる``Chicago Manual of Style''に尽きる(これの書籍版はどこの図書館にもある)。Chicago Manualを見るのは大変、というなら、K. L. Turabianの"A Manual for Writers of Term Papers, Theses, and Dissertations"など、もっと手頃な本 が色々出ています。

おわりに

こういうマニュアルじみたものを作ると、「面倒くせーなー」とか「自分 には自分のやり方がある」いう反応が帰って来ることが多い。必要なのは良い 結果が出ることなので、結果さえ伴っていれば別に画一化した方法を強制する 気はないが、多くの人が使う方法にはそれなりの必然性があるので結局近道に なる。そういう歴史的教訓があるから、大学でも一般的な手法を教えるわけで ある。我流を否定することはしないが、多大な時間を要する割に良い結果は得 られないので、時間を惜しむなら謙虚に「良い型」を学んで身につける方が早 い。何度も試行錯誤するのも意義のある勉強だが、時間が余っているのでない 限り、はじめから良い形を守る方が結果は確実に出る。

参考文献

  1. 本多勝一 『日本語の作文技術』 朝日文庫
  2. 木下是雄 『レポートの組み立て方』 ちくま学芸文庫
  3. 木下是雄 『理科系の作文技術』 中公新書
  4. 更科功『理系の文章術』講談社ブルーバックス
  5. 君島 浩 『日本語作文技法』 日科技連
  6. 大野 晋 『日本語練習帳』 岩波新書
  7. 野寺隆志『楽々LaTeX』共立出版
  8. マーク・ピーターセン『日本人の英語』岩波新書
  9. T.D.ミントン『ここがおかしい日本人の英文法』研究社
  10. 若手研究者のお経 (by 酒井先生)
  11. 科学技術論文の書き方 (by 岡田先生)
  12. Handbook of Writing for the Mathematical Sciences (N. J. Higham, SIAM, 1998)
  13. The Elements of Technical Writing (Blake and Bly, Longman)
  14. The Chicago Manual of Style (Chicago Univ. Press)
  15. A Manual for Writers of Term Papers, Theses, and Dissertations (sixth ed.). (K. L. Turabian, Chicago Univ. Press).

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